Good job プロジェクト
昔も今も日光街道の中間地点として愛されるまち、間々田
先日、日光街道の中間地点がある間々田周辺を散策してきました。まず、間々田駅から小山市立博物館に向かい、間々田の歴史に触れ、小山乙女河岸歴史公園へ立ち寄った後、乙女屋さんというお菓子屋さんでジェラートを頂いたり、浅野屋茂兵衛さんというお蕎麦屋さんでへぎそばを頂いたり、間々田紐を見たりしてから間々田八幡宮へ行きました。そして、蛸屋さんや思季彩館さんといったお店に立ち寄りながら小山駅まで歩いて行きました。
最初に訪れた小山市立博物館では、縄文時代から現代に至るまでの間々田の歴史を学ぶことができました。間々田に古墳ができ始めたのは他の地域と比較すると遅かったけれども、多くの古墳があったことを知り、遅れながらも発展していった地域なのだと思いました。特に小山評定以降から乙女河岸が注目されるようになり、物流の重要な拠点となっていたそうです。日光東照宮の造営と修復のための資材の陸揚げや江戸への年貢米の輸送などにおいて乙女河岸が大きな役割を担っていたことが分かり、関宿と境町の人々にとっては利根川がそうであったように、間々田の人々にとっては思川が江戸と繋がる大切な交通手段だったのだと感じました。川がどれほど大きな役割を果たしていたのか改めて感じることができました。
そして、大きく広がったきれいな田園風景を見ながら小山乙女河岸歴史公園に行くと、休憩所で休んでいた方が私の持っていた日光街道と書かれた旗を見て声を掛けてくださいました。何もないと口では言いつつ、日光街道の旗に気付いてくださったり、日光街道の中間地点があることを話してくださったりと間々田という地域に愛着を持っているように感じました。
小山市立博物館で学芸員をされていた方も旗を見て声を掛けてくださり、間々田には地域に愛着を持った温かい方が多いのだと思いました。
昼食後に訪れた間々田紐のお店には伝統的な組紐が並んでおり、組紐の体験をされている方もいらっしゃいました。素朴で可愛らしいものばかりでしたが、「帯〆は一度締めると緩まず、着崩れを起こさないのが特徴」という説明を見て、実用性の面でも活躍できる技術が詰め込まれていて素敵だと思いました。私も今度体験してみたくなりました。
その後に訪れた間々田八幡宮では、緑に生い茂った木々の中に多くの風鈴が飾られている光景に日本の夏を感じ、印象的でした。緑に囲まれた日陰の中できれいな風鈴の音色も聞こえ、涼しさを感じました。また、池には多くの鯉が泳いでおり、餌をもらいに集まる鯉の中にすいすい泳ぎながら入っていく小さな亀もいました。拝殿の下の隙間には猫がおり、涼んでいるように見えました。
自然に囲まれる心地よさと共に、生き物たちののんびりとした雰囲気も感じ、癒やされる空間でした。境内には「頼朝手植えの松」と呼ばれる松や「無事かえるの像」という可愛らしいかえるの像もありました。
939年頃に起きた平将門の乱の際に藤原秀郷という武将が間々田八幡宮や沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、乱を平定したと言われており、それを聞いた源頼朝も奥州藤原氏との合戦の際に間々田八幡宮を参拝し、戦勝を祈願して松を植えたとされています。そして、その松は「頼朝手植えの松」と呼ばれ、明治38年に枯死してしまうまで大切に守られ続けたそうです。現在、頼朝手植えの松は3代目となっており、代替わりしながら頼朝が間々田八幡宮を訪れた歴史を伝えてくれています。
間々田八幡宮には「古池や 蛙飛こむ 水の音 芭蕉翁」と刻まれた句碑もあり、その句碑の裏に「地元の名士であった田口久七が北越遊歴中に病に倒れた際に、故郷の間々田八幡宮を心に浮かべて一心に祈ったところ、病が癒え、無事に故郷に帰ることができ、その神恩に感謝してこの出来事を後世に伝えるためにその句碑を奉納した」というお話が書かれているそうです。そして、田口久七が故郷の鎮守の池に棲むかえるの姿に芭蕉の名句を重ねて伝えようとした、その感謝の思いに「無事かえるの像」というかたちが与えられて祀られているとのことでした。無事かえるの像が建立されたのは令和2年であり新しくできた像でしたが、これから頼朝手植えの松のように何百年も大切にされ、様々な歴史が刻まれていってほしいと思います。
その後、小山駅へと向かう道の途中で立ち寄った蛸屋さんには、どれを買おうか迷ってしまうほど美味しそうな和菓子がたくさん並んでいました。私はみかもの月と栗石がえしを頂きました。みかもの月はふわふわのスポンジの中にやさしい甘さのカスタードが入っており、栗石がえしはふわふわのスポンジの間にあんこと一粒の栗がそのまま挟まれており、どちらもとても美味しかったです。そして、思季彩館さんには808ブルワリーさんという小山市にあるブルワリーで製造されたクラフトビールなど、様々な小山市のものが並んでいました。
そこで私はオヤマエールという小山で採れたお米を使って作られたビールを頂きました。フルーティーな風味があり、普段あまりビールを飲まない私でも飲みやすかったです。
間々田の散策を通して、源頼朝や徳川家康といった誰もが知っているような歴史上の人物も訪れ、非常に大切にされていた地域であることを学びました。また、日光街道の旗を見て声を掛けてくださった方々とお話をして、そのような歴史に誇りを持つ地元の方々に愛されている地域であることも実感しました。間々田には今回訪れた場所の他にも逢いの榎や小山市車屋美術館など気になる場所がたくさんあるので、また訪れ、より多くの魅力に触れていきたいと思います。
「人」のつながりを感じた街歩き
私は、今日の関宿城博物館や境町を巡って、歴史には「人」の存在が不可欠であるという事を実感しました。まず、関宿城博物館では、川を移動した大事業についての歴史を学びました。
私達が日常目にしている川というものにも、川を中心として、集落や関所などが作られ、川を移動する事業という大プロジェクトに対しても、その地域の人の助けや努力によって作られていく。歴史というのは、「人」というものなしでは、語れないという事を実感しました。
そして、その「人」にとって重要なものである川という存在。その川は、今は釣りをしていたり、川遊びをしたりという実態があるのかもしれません。しかし、その川というものには、特に今回学んだ利根川には、氾濫を起こし続け、その周りの人を苦しめていたという歴史があります。その歴史の中で、江戸時代という、現代のように便利な自動的に機械がない時代に、小さな舟を使いながら、一つ一つ手を使って川自体の位置を変えていくのです。
それを変えるという作業をするのは、もちろん人の手が必要です。そしてそこには、「この利根川が氾濫をしないように、どうにかしよう!何かできることはないか!」という熱い思いがあり、一人一人が川の移動に携わっていたのではないかと考えます。
そして、その利根川の移動する過程の歴史を教えてくれた学芸員の方のお話の一つ一つが、私達を利根川の歴史の世界へ導いてくれました。その方からも、昔の利根川の工事をした方のように、利根川や関宿という町に関する歴史への熱意を感じる事ができました。川の場所を移動しなければならない理由や関宿周辺に住んでいた人々の歴史。なんら変哲のない道にも、そこには歴史の跡が隠されている。それが気になる方は、ぜひ関宿博物館に訪れてみてください!日常生活を見る視点がきっと変わります。
次に訪れた場所は、境町です。境町は、千葉県と茨城県の県境の近くにある町です。この町は、過去、今、未来をつなぐ町であると感じました。それが、地域の方々のお話を聞くことで、明らかになっていくのです。その舞台となったのが、自動運転バスです。境町は、日本で唯一完全自動運転のバスが走っている地域なのです。危険を察知し自動で停止したり、周りを見ながら、人間のように運転することができます。運転免許を取って1週間で車をすってしまった私よりも、確実に運転が上手なことを実感しました。
近未来の乗り物に乗りながら、地元の案内人の方にお話しをお聞きしました。その話の中で、境町は、最寄りの駅からバスで、30分程度かかるのにもかかわらず、あえて鉄道を通さなかったという事を聞いて驚きました。鉄道を通さなかったという背景には、その地域が誇りにしていること。つまり、水運の発達という理由があったのです。境町には、大きな川があり、昔、水運業が発達していました。その水運業を中心として、街が形成されていきました。そこには、時代が積み重ねてきた人々の想いや誇りがあるのではないかと考えられます。その理由として、鉄道という新しい技術を拒んだのではないかと予想ができます。鉄道の敷設を拒否したという事実を知るだけではなく、なぜ拒否するに至ったのかという背景を知る大切さも知ることができました。そして、自動運転バスという近未来なものと歴史が、交差しているように感じました。
最後に、境町にある今も昔も変わらなかった風景について紹介させていただきます。それが、「人」の存在です。水運業には、舟を導くための人がいます。そして、自動運転バスにもバスが正常に運行できるようにサポートをする人がいます。この2人には、共通点があるのです。それが、「案内人」としての役割です。そして、昔でもあっても、今であっても境町には、「案内人」を中心とした人々のつながりが溢れています。ずっと昔の水運業であっても、境町の今の地域の話をしたり、今の現状を話したりなどの対話が繰り広げられていたのではないでしょうか。その一方で、自動運転バスであっても、そのバスに乗車することで、その人を中心とした人のつながりが作られます。高齢者や子ども、観光客などがそのバスに乗車をし、「案内人」の方を中心とした人同士のつながりが作られるのではないでしょうか。今回の境町の街歩きを通じて、昔から現代へ続く人のつながりを感じることができました。
何度も訪れたいと思わせるほど多くの魅力に溢れた古河のまち
先日、栗橋から古河まで歩いて行き、古河のまちを散策してきました。
まず、日光街道太陽のもとのてらこや3日目の出発地点、クラッセくりはしの中にある三笠屋さんにご挨拶をし、三笠屋さんのお団子を頂きながら静御前のお墓の前で一日の流れなどを確認しました。
そして、出発し、途中、堤防建設のために移転した八坂神社にお参りするなど寄り道を挟みながら古河に向けて歩みを進めました。
古河駅が近くなってくると古河の歴史に関して書かれたオブジェが所々に置いてあり、それを読みながら歩くとより古河のまちに興味がわいてきました。
古河に入ってからは最初に鈴木園さんを訪れ、お茶と抹茶のソフトクリームを頂きました。お茶もソフトクリームもお茶の味がしっかりしていて非常に美味しく、また、暑い中約2時間歩いた後にソフトクリームを頂いたので、エネルギーが一気に補給された感覚になりました。
鈴木園さんの後は古河歴史博物館を訪れました。そこで、雪の結晶を研究した殿様である土井利位さんや、土井利位さんに使えた藩士である鷹見泉石さん、人体解剖を行い『解屍編』という医学書を出版して医学の発展に貢献した河口信任さんなど、古河にゆかりのある偉大な歴史上の人物を知ることができました。特に、私は鷹見泉石さんが印象に残っています。
幅広い交友関係を築きながら学問的な面から政治的な面まで幅広く日本の発展に貢献してきた方であることが展示されていた資料から伝わってきました。私は古河を訪れて初めて鷹見泉石さんを知りましたが、中浜万次郎さんや二宮尊徳さんなど関わりのある人物として出てきた方々は有名な方も多く、歴史に名を残すような方から知識を得たり、頼られたりしてきた偉大な人物だったのだと感じました。
多くの人との対話によって情報を得ていった鷹見泉石さんのことを知り、私も人との対話を通して情報を得ることやインターネットでは得られない、その人の価値観も含めて語られる情報を大切にしていきたいと思いました。
古河歴史博物館の後は杉本納豆さんにご挨拶に行き、大粒のたわら納豆を頂きました。わらの中で発酵させるという、昔ながらの製法で作られた納豆は大変美味しかったです。そして最後に、長寿庵さんで暑い日にぴったりの美味しいごまだれのお蕎麦を頂き、一日の振り返りをしました。
一日古河を散策してみると、古河には偉大な歴史上の人物がたくさんいらっしゃり、素敵なお店もたくさんあり、多くの魅力にあふれたまちであることを実感しました。魅力的な部分にすべて触れるためには一日では足りず、再び訪れたいと思いました。何度訪れても毎回別の気付きや学びが得られる場所であると思います。まだまだ私が発見できていない魅力はたくさんあると思いますが、古河のまちを少しでも知ることができた素敵な一日でした。
癒やしと気付きをもらたす自然の力~日光杉並木を歩いた一日から感じたこと~
先日、今年の“日光街道太陽のもとのてらこや”の下見とご挨拶に、下野大沢駅から日光街道に向かい、日光杉並木を歩いてきました。
日光杉並木は、徳川家康さんに仕えていた松平正綱さんが20年あまりの歳月をかけて杉の苗木を植え、東照宮に寄進したものであると言われています。実際に行ってみると、隙間なく多くの杉が並んでおり、車の音がほとんど聞こえない静かな空間でした。
杉にも若そうな細いものや、樹齢何百年もたっていそうな太いものまで様々でした。それぞれの杉がいつ頃植えられたのか、どのような歴史があるのか想像しながら歩くのも楽しかったです。
また、杉並木の中では自然の空気と音に囲まれ、日々の忙しさを忘れてのんびりした気持ちになることができました。そのような開放感があり、ゆったりとした空間の中で過去を振り返り、感謝した出来事、寂しかった出来事などを考えると、その一つひとつが今の自分に繋がっていることを実感でき、どの経験も大切であることに気付くことができました。自然の中では、やるべきことに追われている日常生活の中では考えることができないことに思いを馳せることができ、自分に向き合える貴重な時間になりました。松平正綱さんが20年もかけてなぜ杉並木を作ろうと思ったのか気になりますが、何百年もたった今でも残っているということは、何百年もの間必要とされ続ける空間を生み出したということなのだと思います。変化し続ける時代の中でも、自然は変わらず人々の癒やしの場として必要とされる場所なのかもしれないと思いました。
日光杉並木を歩いた後は電車で日光東照宮へ向かいました。紅葉の季節もきれいだと思いますが、緑の葉に囲まれた東照宮もきれいな景色でした。春夏秋冬でそれぞれ異なる様々な景色を見られるのが日本の良いところなのだと実感しました。日光街道太陽のもとのてらこやの当日はどのような景色になっているのか楽しみになりました。東照宮では、イベントにご協力頂いている禰宜さんにお会いし、ご挨拶することができました。毎年お忙しい中ご協力頂いており、大変感謝しています。
日光東照宮を訪れた後は、宇都宮に向かい、Y’s Teaさんで高校生メンバーと打ち合わせをしました。オンラインでしか会っていなかったメンバーと対面で会うことができ、大変嬉しく思いました。コロナ禍でオンラインのミーティングも増えましたが、対面で会うと身長など印象が違う点が多々あり、対面で会うことの大切さも実感しました。今の高校生の生活や考えなどを聞くことができて新鮮であり、今後一緒に活動していくのが楽しみになりました。
Y’s Teaさんにも再び訪れ、根本社長にもお会いでき、紅茶を頂くこともできて大変嬉しかったです。前に訪れたことがあっても、紅茶の種類の多さには圧倒されました。気になる紅茶はたくさんあるので、また訪れたいと思います。
自然の中で癒やされたり、ご協力頂いている方々とお会いできたり、オンラインでしか会えていなかったメンバーと初めて対面で会えたりと充実した一日になりました。たくさん足を使いましたが、心地よい疲れとすっきりした気持ちで一日を終えることができました。
第11回グリーンフェス 実施!
こんにちは!事務局の内田です。私は3月25日のグリーンフェスに事務局として参画しました。
私自身も初めて経験するグリーンフェスで事務局として上手く動けるのか元々不安がありましたが、それに加えて雨ということで更に不安が増した状態で当日を迎えることになりました。
7時頃から、かっぱを着て雨に打たれながらもテント設営を開始しました。気をつけてもすぐに荷物が濡れてしまうなど、準備段階からうまくいかないことが多々起こり、雨によって動きも制限され、雨の中のイベント開催の大変さを実感しました。8時頃からはブース出店者様達がいらっしゃり、雨で開催できるか不確実な中、前々から準備してお越しくださったのだと思うと絶対に良いイベントにしなければと思いました。
特にスタンプラリーの設置は遅れていたため、それらの準備の時は必死で走り回りました。走るとかっぱのフードがすぐにはずれてしまいますが、それも気にならず、雨に濡れながら準備に奔走しました。
雨がかなり降っていましたが、イベントの開始時刻(10時)を過ぎると徐々にお客様がお越しになりました。私は本部におり、記念品を喜んで頂いたり、楽しそうにスタンプラリーに出発されたりする様子を見て大変嬉しくなりました。
そして、写真を撮りつつ各ブースの様子を見て回ると、お客様と楽しそうに会話されているブース出店者様の姿があり、温かい気持ちになりました。また、どのブースの食べ物もおいしそうで私も食べたくなり、ワークショップも興味深くて実際にやってみたくなりました。イベント中に実際に食べたものもありますが、食べられなかったものに関してもお店に行って食べてみたいと思いました。
お昼頃になるとお子様と一緒にご家族で来られる方も増え、続々とスタンプラリーを終えた子ども達が本部に戻ってきました。笑顔で戻ってきて楽しそうに景品を選ぶ姿を見て、私も嬉しくなり、自然と笑顔になっていました。午後になると雨もやみ、庄和公園近くの児童養護施設「子供の町」の子ども達も来て、はたらく体験ラボの体験人数も急激に増えました。
午前中は雨が降っていたこともあり、体験に来る子どもがほとんどおらず、寂しく感じていましたが、わくわくしながら体験に行く子ども達の姿を見て嬉しくなりました。グリーンフェスで体験したことが少しでも良い思い出として残ってくれたらと思います。本部の方もスタンプラリーを終えた子ども達やバルーンアートに感動する子ども達で賑わい、忙しくなりました。
元気な子ども達と話すのがとても楽しく、私もエネルギーをもらえたように思います。そして、グリーンフェスにご協力頂いていた庄和高校生が販売していた金谷ホテルベーカリーのパンがお昼過ぎには売り切れ、生徒さん達もブースを回られていました。パンが売り切れたと聞いたときは、金谷ホテルベーカリーのパンの人気の高さを感じたのと同時に、生徒さん達の力も大きいだろうと思いました。
明るい笑顔でお客様と接していた生徒さん達は、生き生きとしていて輝いて見えました。高校生のパワーの大きさを感じました。また、楽しそうにブースを回って、おいしそうにお昼ご飯を食べている姿も印象的でした。私も高校時代にこのようなイベントを経験していたらきっと素敵な思い出になっただろうと思いました。
さらに、印象的な出来事がもう一つありました。本部にいらっしゃったお客様が、記念品の桐のはがきを以前別の場所で見たことがあり、ずっとどこで売っているのか気になっていたところ、グリーンフェスで記念品として配られるのを知り、庄和総合公園に来てみたとお話されていました。そして、ご協賛頂いている飯島桐箪笥製作所様のことをお話しすると、今度訪ねてみようとおっしゃっていました。この出来事を通して、桐のはがきがそのお客様とグリーンフェスを繋いでくれ、今度はグリーンフェスがそのお客様と飯島桐箪笥製作所様を繋ぐことができたように思い、ご縁が繋がっていくのを感じました。喜びと共に心が温かくなる出来事でした。
雨で大きな不安を抱えながら始まったグリーンフェスでしたが、お客様が笑顔になっている姿を見ると、私自身も楽しくなり、あっという間に終わりの時間を迎えていました。最後にブース出店者様達にご挨拶すると、「お疲れ様」、「ありがとうございました」といった言葉をかけて下さり、大きな達成感を感じました。温かさと喜び、感謝であふれた気持ちでグリーンフェスを終えることができました。また、事務局として様々な方と関わる中で大きく成長でき、貴重な経験となりました。お客様やブース出店者様、庄和高校生など多くの人の笑顔を見ることもでき、事務局として関われたことを大変嬉しく思っています。そして、お越し下さったお客様や、ブース出店者の皆様、庄和高校の生徒さん達、運営を支えて下さった方々などご協力頂いた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。グリーンフェスを通して得た気付きや学び、成長は一生の宝物だと思っています。
これからの時代の しなやかな歩みかた <春のてらこや2023>
<JES春のてらこや2023 概要>
「これからの時代の しなやかな歩みかた」
●日時:2023年2月1日(水)17:30~18:50(17:15よりZoom受付開始)
●タイムスケジュール
・オープニング・ごあいさつ
・特別講演
・トークセッション+質疑応答
・おわりに
●会場(会場参加の方)
上野 by LIG(いいオフィス)
住所:台東区小島2-20-11 LIGビル 詳しくは>>
※オフライン・オンラインの併用セミナーとなっております。
※ZoomのURLは事前にお送りいたします。
※このイベントは、当協会の新年会(春のてらこや)として開催致します。恐れ入りますが、会の中で、2022年度活動報告や2023年度活動方針にまつわるお話の時間を設けさせていただきますので、予めご了承くださいませ。
<ゲスト>
春日未歩子(かすが みほこ)氏
森とこころの研究所 所長
精神保健福祉士/公認心理師/2級キャリア・コンサルティング技能士/
SST普及協会 認定講師/日本精神保健福祉士協会 認定スーパーバイザー
日本精神保健福祉士協会 産業分野委員/日本産業精神保健学会 編集委員/NPO森林セラピーソサエティ 理事
和光大学人文学部人間関係学科卒業。東京大学医学部精神医学教室デイホスピタル研究生として2年間の研修ののち、医療法人社団翠会成増厚生病院に入職。同病院の外来部門である「こころのクリニックなります」に異動後、平成17年から株式会社ジャパンEAPシステムズにて産業精神保健に従事。企業を中心として、一般社員や管理監督者からの相談を数多く受ける傍ら、大手企業、団体、行政機関におけるメンタルヘルス研修の実績が200件以上ある。2012年から自然環境を活用して心身を整える宿泊施設「保健農園ホテルフフ山梨」(山梨県山梨市)を立ち上げ運営。2021年5月から「森とこころの研究所」として開業。森がこころに与える影響を研究し、生きる力につながる総合的なセルフケアの提供を行っている。
<参加費について>
◆参加チケット:2,000円(税込み)
<Good Job アクション!>
https://hataraku.jinji-es.com/goodjob/action.html
※今回の模様は録画を撮り、後日「TERAKOYA オンライン」にて録画動画を公開する予定です。
TERAKOYA オンライン▼
<お申込み>
お申込み受付終了いたしました。
「日光街道太陽のもとのてらこや」を通して、異なる目線で日本を見つめられるように
私は台湾人で、現在日本に留学している大学4年生です。ずっと前から日本の歴史や文化に興味があったので、「日光街道太陽のもとのてらこや」のことを知ったあと、参加しようと決めました。今回は金野さんのお誘いに応じて、運営側として参加させていただきました。
5日間のイベントで、私は4日間参加しました。 最初はすごく緊張しましたが、時間が経つにつれ、参加者の皆さんといろんな話(例えば、好きな食べ物や音楽の話とか、台湾の政治の話とか、日本の経済や社会に関する話題など、)ができました。これらの話により、私の中の日本像がより鮮明になりました。それに、まだ日本語が苦手な私に対して、参加者の皆さんは親切に扱ってくれて、すごく感謝しました。
最も印象に残ったのは、第二日目と第四日目のことです。
二日目は越谷から栗橋までの徒歩行軍でした。夕暮れ時に私たちは、二つ河川を調節するための権現堂調整池管理所の前を通っていました。調整池管理所の形や構造はとても壮観で、こんなに近くで見たのは初めてでした。それで、ほとんど電車で移動している私は、あることに気づきました。それは交通機関を使わずに、実際にこの両足で歩かなければ、見えない景色が実際にあることです。
四日目の徒歩行軍、体力のない私が1日で42キロ歩くと聞いていた時、正直ショックでした。 途中、2回も諦めかけましたが、仲間の励ましの言葉で歩き続けました。最後は無事に42キロを歩き切ることができ楽しかったです。もし、あの時、周りに仲間がいなかったら、私は一人でゴールすることができないかなと思いました。
「日光街道太陽のもとのてらこや」によって、違う目線で日本を見つめることができました。それに、日本の歴史、文化、地理などについて、前より分かるようになりました。 そして何よりも、日本人の優しさを深く感じました。
そのうちに台湾に戻ってから、友人に「日本へ来て一番印象に残ったものは何」と聞かれたら、私は答えるべきものを見つけました。
日光杉並木、田原真人さんとの対話の道歩き
「太陽のもとのてらこや」最終日の特別講演は、田原真人さんにお話いただきました。
当日、今市宿をスタートする朝から、田原さんには参加者の皆さんと共に杉並木を歩いていただき、ゴール後の東照宮の中も一緒に巡っていく、という大変貴重な対話の行程となりました。
日光東照宮の中を巡り特別祈祷を受けたあとの澄んだ空気感の中、シンと静まる客殿で、田原さんの講演が始まりました。
まず投げかけられたのは、「状況(環境)→からだ(身体性)→あたま(思考)」という視点。
”思考した上で行動し物事の状況をつくっていく”という、現代社会では無意識に当たり前となっているわたしたちの動きかたを取り上げ、それによるさまざまな行き詰まり(イノベーションが起きづらい等)に気づいて来たいま、改めて、「状況が変わるとわたしたちも変わる」という点に立ち、新しい生きかたや働きかた、学びかたを探求してみよう、という点でした。
例えば、東照宮に刻まれている数々の装飾はわたしたちの目を惹きつけますが、それらは職人たちの営みの痕跡であり、そのような時間や文化が凝縮された場が、日光東照宮でもあります。
また、人が東照宮を目指して歩く営みの痕跡として、日光街道という道・環境ができたわけですが、わたしたちもその道を毎年歩き続けるという身体性ある営みを重ねながら、街道沿いの地域の文化や歴史・風土がもつ物語に心惹かれ、人とつながり、「太陽のもとのてらこや」という活動が形づくられてきました。
これらは決して綿密に設計・計画されたわけではなく、非効率だけれども生命的な営みの蓄積でもあり、田原さんはそれを「アリの巣的な営み」とおっしゃいます。
アリの巣的な営みは、そこに参加する、そこで暮らす、そこで働く、というように、からだを動かし体感しながら徐々に形づくられていくものです。そのため、個々の接点を通じてコミュニケーションが必要になり、一つのパターン・こたえとして画一的に展開していけるものではありません。
わたしたちは近代社会において、しっかりと計画を立て綿密な設計どおりに動かすことで状況が変わり新たな価値を生み出せると捉え、動かすために外発的な要因(報酬等)をエンジンに仕立てようとしてきました。日頃わたしたちが取り組む評価制度などは、その最たるものかもしれません。
しかし、そのような設計主義が過ぎることで、強制力が働いて負荷・ひずみが生じ、例えば職場であれば、メンタルヘルスやハラスメントの問題などが生じるようになったとも言えます。
アリの巣的な、生命体としての状況の中で暮らしたり働いたりしていくことは、非効率ではあるものの多様な物語が立ち上がりやすく、個々の特性が活かされコミュニティにおける自らの役割を認識することができると言います。それが、居場所感・愛着心・つながり意識といったESの状態を高め、個々の内発的なエンジンとしても作用するわけです。
企業の組織も、わたしたちのようなコミュニティの活動も、”しっかり考え綿密に設計する”ところから少し離れて、ご縁のある地域や愛着ある場の中に身を置いてみて、「状況(環境)→からだ(身体性)→あたま(思考)」という流れで営みを積み重ねてみることが、これからの社会を個としてしなやかに歩んでいく道筋になるのだと言えます。
杉並木から東照宮までの対話の道のりで、参加者からは、まちや職場が抱える問題や就職活動の悩みなど、さまざまな課題が投げかけられました。
しかし、田原さん曰く「課題がみえている、というのは、望まれている、ということでもある」と。
そこに身を置き、その状況の中でからだを動かしてみたことで、観えた世界や感じたことがあるからこそ、自らの役割や進みたい方向性が実感できるわけで、そのような個としてのおもいを基点に動いてみる、ということを大切にしていければ良いのではないかと思いました。
わたしたちの活動の意義を捉え直ししながら、この社会を生きる一人ひとりとしてのあり方を見つめ直す、まさに「enearth(掘り起こす)」の学びの機会となりました。
ありがとうございました。
「太陽のもとのてらこや」での歩み
私は今年からJESに参画し、「日光街道 太陽のもとのてらこや」では運営メンバーとして学びの場づくりに関わってきました。この活動を通して、様々な地域の魅力や多くの人の価値観に触れることができ、自分の視野を広げられ、貴重な経験になりました。
1日目のセミナーでは、まず、お話し頂いた八木澤さんが私と同い年であることに驚きました。生きてきた年数は同じはずなのに視野の広さや思考の深さが全く違い、すごさを感じました。
また、お話をお聞きする中で、常に様々なことに目を向け、自分で考えながら行動してきたからそのような視野の広さや思考の深さが身についたのだろうと感じ、私も見習わなければと思いました。
特に「ゆるく交わることがWell-beingに繋がる」というお話が印象に残っており、ゆるさから良いアイディアが生まれるという言葉を聞いて勉強になりました。
私は机に向かって考えていることが多いですが、これからは気分転換しながら考えてみようと思いました。
4日目は、Y’s Teaさんにご挨拶に行くところから合流させて頂きました。
Y’s Teaさんでは、まず、紅茶の種類の多さに驚きました。どれも気になるものばかりで、何度も来て色々な紅茶を飲んでみたいと思いました。また、あらゆる地域とコラボした紅茶を作っていて、紅茶を地域おこしの手段にするという発想も素敵だと思いました。
そして、思いついたことを次々に行動していく行動力も真似したいと思いました。
自分が暮らすまちにある素敵な場所を知ることができてとても嬉しかったです。また行きたいと思いました。
その後は5日目の懇親会場となるかまやさんに行き、ご挨拶と打ち合わせをしました。金野さんと店主の方が打ち合わせをしているのをメモを取りながら聞いていて、懇親会で楽しんでもらうために当日の様子を想像しながらメニューのラインナップなどを一緒に決めていく様子がとても勉強になりました。
色々なことを考えながら打ち合わせを進めていくことで、参加する人に楽しんでもらえる場が作れるのだと思い、人を楽しませるためには様々な点に目を向ける必要があるのだと思いました。
今まであまり立ち会うことのなかった場だったので貴重な経験になりました。
5日目は、今市駅から日光東照宮まで、観光で来ていたら通らないような道をたくさん歩き、歩いてみないと分からないような地域の魅力を感じることができました。
その中でも杉並木を歩いていると、自然に囲まれて心が癒やされました。就活や大学の課題などに追われて忙しい日々を送っていましたが、自然に囲まれるとリラックスでき、改めて自然が持つ力や魅力が感じられました。
日光東照宮では、普段は入れないところにも入らせて頂き、貴重な機会になりました。見始めるといつまでも見てしまいそうな細かい装飾があらゆる所にあり、これを完成させた昔の職人さんやそれを修復したり維持したりする職人さんのすごさを感じました。
日光東照宮へ行くのは初めてだったので、有名な三猿や眠り猫が見られたことも嬉しかったです。また、もっと歴史の知識があれば、知識と結びつけて建物を見ることができ、楽しめたのかもしれないと思い、歴史を勉強してからまた来てみたいと思いました。
最後のセミナーでは体で感じたことを大切にというお話が特に印象に残り、就活をする中で大切にしていきたいと思いました。
大学で勉強をしていると、頭で考えることが基本になってしまっていたので、新たな視点を得られて勉強になりました。
さらに、5日目は様々な方と話しながら歩くことができ、色々な考え方や価値観、好みに触れられてとても楽しかったです。大学にいるだけでは関われない方と関わることができ、自分の視野も広げられたように感じました。
初対面の人と話すとき、緊張してしまうことが多かったですが、イベントを通して色々な人と関わる楽しさを感じ、もっと色々な人と関わってみたいと思うようになりました。
初対面の人に声をかけることにもあまり壁を感じなくなり、成長できたように感じ嬉しかったです。
今回のイベントを通して、たくさんの地域の魅力や人の魅力を感じることができ、参加して良かったと思いました。このような気付きや学び、成長を与えてくださり、関わって下さった方々に対する感謝の気持ちでいっぱいです。
行きたい場所もたくさんできたので、これからも色々な場所を訪れ、地域の魅力を発見したり、様々な人と関わってみたりしたいと思います。
地域を舞台に観えてくる これからの参加型社会とは
「太陽のもとのてらこや」に参加するのは、勤めているひと、経営しているひと、学び過程のさなかのひと、などさまざまです。皆それぞれの背景や意図があって、徒歩行軍とまちあるき、それぞれのコースを選んで参加してくださる多様な顔ぶれです。
しかし、その一日の長い行程を終えると、不思議と醸成されている「一体感」があります。まちを歩きながら普段とは異なる学びを共にした一体感、あるいは、長距離を歩き抜いた一体感。
その感覚は決して、“歩くぞ!”“歴史を学ぶぞ!”といった同調圧力から高められたものではなく、また、機械的に組み立てられたカリキュラムの枠組みで生み出されたものでもなく、日光街道という一本道を「歩く」というシンプルな行為を重ねながら、各々が身体性で感じ、さまざまな創発と向き合うプロセスを通して、「なぜ歩くのか」「何のために参加したのか」等々の意味をつくりあげたからこそ、育まれた感覚であると言えます。
このように「場や機会を共にし、身体性で感じる行程を歩むことで、時間や空間を越えて一体感を共有できること」の意味を、日光街道を舞台に、より深めていきたいと考えたときに、日頃さまざまな学びをいただいている田原真人さんとのご縁で、今回のセミナーの開催に至りました。
これからの社会において、主体的な個が結び付き、つながりを通したさまざまな物語を生み出していきながら、意味や役割を見出していくコミュニティを、田原さんが提唱する「参加型社会」と重ね合わせながら、「日光街道太陽のもとのてらこや」最終日に、皆さんと学びを深めていきたいと思います。
<セミナー概要>
●日時:令和4年11月19日(土)15:15~17:00
●オンライン開催
●プログラム
・開会あいさつ
・田原真人氏 基調講演
「地域を舞台に観えてくる これからの参加型社会とは」
・質疑応答/閉会あいさつ
●受講料:一般 3,000円/学生 1,500円
*本オンラインセミナーは、ドネーションチケットの形をとらせていただいております。皆さまの参加費の一部は、日光街道沿いの地域の子どもたちのはたらくワクワクを育むお仕事体験「はたラボ」の運営費および学生のセミナー受講代に充てさせていただきます。
<Good Job アクション!>
https://hataraku.jinji-es.com/goodjob/action.html
<ゲスト プロフィール>
田原真人(たはらまさと)さん
デジタルファシリテーター/非暴力アナーキスト
参加型社会学会会長
国際ファシリテーターズ協会日本支部(IAF Japan)理事
文筆家&講演家(オンライン化による学びと組織の変化、参加型社会へのパラダイムシフト)
コンサルタント(参加型コンセプト開発・オンラインプログラム開発)
参加型社会の実現に向け、教育、組織、社会の新しいデザインを探究する独立研究者。「反転授業の研究」でオンラインコミュニティ運営、「トオラス」で自律分散型オンライン組織経営を行う。2021年から、参加型社会学会を立ち上げ、社会のパラダイムシフトに取り組む。『Zoomオンライン革命!』『出現する参加型社会』『Miro革命』など著書12冊。参加型社会学会会長。IAF Japan理事。一般社団法人SD&I(サプライヤーダイバーシティ&インクルージョン)研究所理事、有限会社人事・労務顧問、デジタルファシリテーター。非暴力アナキスト。マレーシア在住10年を経て2022年6月に帰国。
◎本セミナーは、「日光街道 太陽のもとのてらこや」のプログラムの一環として開催するものです。当イベント最終日(11月19日(土))にご参加いただく方は会場にて聴講いただけます。
https://hataraku.jinji-es.com/nikkou.html
「未来の新しい”はたらく力”を増やす」というテーマのもと日光街道を舞台に開催する「日光街道 太陽のもとのてらこや」では、フィールドワークをまじえながら五日間に分けて日光街道147キロを歩き進みます(各日参加可)。
プログラムを通して目指すのは、”境を越えてつながりから価値を生み出す”働くかたちを学ぶこと。日光街道沿いの各地域で暮らす、「越境するはたらき方の実践者」「つながりの基点として地域を動かすコミュニティリーダー」「次世代の子どもたちへバトンをつなぐ立役者」「未来思考のはたらき方を自ら実践するロールモデル」に触れながら、自分たちの未来像を描くヒントを見つけ出す経験学習の場です。
日光街道は、未来を見据え国の礎を築いた徳川家康公を始め、農家出身で農業に従事しつつも武士としてさまざまな地域興しを担った二宮尊徳氏、外国人というよそ者の視点から当時の日本の姿を客観的に世界に広めたイザベル・バード氏など、多くの偉人が足跡を残した道です。
俳人松尾芭蕉の紀行作品「奥の細道」にも多く取り上げられ、日本人から愛されてきたこの地域にある、日本の旧くから続く「はたらく」に、これからのはたらくカタチのヒントがあるのではないかと思います。
<お申込み>
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