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ともに働く、ともに生きる、ってどういうこと?自己実現は自分が関わった他者との関わりから見えてくる
皆さん、こんにちは。
日本ES開発協会の山﨑です。
3月20日に新年会として<春のてらこや>オンラインイベントを開催いたしました。
ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
第一部は、オンライン映画上映会として「workers 被災地に起つ」を上映。
競争、効率、自己責任…ではなく、持続可能な社会への仕組みづくりを地域の人とともに模索・実践し続けてきたワーカーズコープ(協同労働の協同組合)による東北被災地での取り組みを22ヶ月間にわたって記録したものです。
労働、出資、経営を三位一体で行う、それだけ聞くと実際にどう動いているの??
と疑問が湧きますが、林業や福祉事業など実際に協同労働の形態で行う組織を見て成り立ち方を理解できました。
皆が経営に直結する数字が読めるわけではない、皆がその仕事に経験値が高いわけでもない、
そんな差がある中でも目指すところが同じであるからこそ、一人ひとりの在り方を大切に共有しながら事業運営されていました。
まさに、立場関係なく「公共は自分たちで作り出す」という自分ごと意識が強い、ということなんだと思います。
第二部は、トークセッション。
日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会 理事の玉木信博さんをお招きしました。
労働者協同組合(ワーカーズコープ)とはつまり
働く人や市民が出資して、主体的に経営に参加しながら、
生活と地域に応える仕事を協同でおこす協同労働の協同組合。
もともとは、戦後~90年代まで、国が失業者に対して仕事を出すという失業対策事業があったのですが、その制度がなくなり失業者が生まれていく中で、ただ雇われるのではなく、
自分たちでお金を出し合って、事業経営もしていこうとしたのが、ワーカーズコープの始まりだそうです。
内山節さんの言葉の通り
昔は【暮らしはつくるもの、仕事はつくるもの】
今は【仕事は雇われるもの、暮らしは買うもの】に変わりつつある。
そんな状況で原点に立ち返るような働き方のように感じました。
なぜ今原点に?
仕事がAIに取って代わられていく今だからこそ
仕事をつくる、おこすというワーカーズコープの考え方。
AIからは生まれない、地域・現場の課題をクローズアップして解決する、という発想。
私は、これが仕事の意味を今考え直す理由かなと思います。
会長の矢萩からは、
社労士の視点から、”幸福感はコミュニティからやってくる”という話がありました。
「共助なくして自助はない。」
ワーカーズのように楽しく働く人々の中には「共」があるのではなかろうか。
今、「共」という皆の願いは失われつつある。
その「共」はどのようなものだろうか、を理解するためにシロアリの例が出ました。
―――
シロアリは木を食べています。しかし木を食べて生きていくためにはシロアリの体の中にアメーバが共生して住んでいるのです。
なぜなら木を分解するのはアメーバで、つまりアメーバが死んでしまうとシロアリも死んでしまいます。アメーバは高温に弱く気温が33度を超えると死んでしまうのでその時はシロアリも死んでしまいます。
こうやって、シロアリは体の中に生態系が出来ていて、シロアリはアメーバとともに共生して生きています。
―――
玉木さんも「他者との関係性の中で自己が存在する」と仰っていたのですが、まさにこのシロアリとアメーバの関係性を見ると「共に生きる、共生する」ということの意味が腑に落ちたように感じました。
つまり「共」は“つながり=他者との関係性”があってこそ、ということになりますが私たち人間はこのつながりを普段どのくらい考えられておりますでしょうか。
人間同士は、シロアリのアメーバのように体の中に取り込みあって・・・という共生はイメージしづらいですが私たちの共生とは何だろう?という疑問が湧いたところで、幸福学のお話に移ります。
矢萩は、GDPと生活満足度の関係によると今、お金やモノが幸福感には直結しないことが分かっています。GDPがある一定の基準を超えてしまうとどんなに物質的に豊かになっても幸福感は頭打ちになってしまうのです。と言いました。
また、人生の幸せには長続きする幸せと長続きしない幸せがあり、長続きする幸せは、共感資本、公益資本、社会関係資本のような私欲とは異なる関係性に基づいたものが多いと言います。
GDPで測っていたのは長続きしない幸せということです。
また慶応大学の前野先生が提唱した
幸せの4つの因子、についても皆で考えました。
第一因子 やってみよう(自己実現と成長の因子)→自分への愛
第二因子 ありがとう(つながりと感謝との因子)→みんなへの愛
第三因子 なんとかなる(前向きと楽観の因子)→自分への愛
第四因子 あなたらしく(独立とマイペースの因子)→自分への愛
幸せになるためには、自分を愛することと映画でも出たように皆を愛すること
その二軸が必要になってくるようです。
玉木さんはこの幸せ因子に対して、これは全て孤独だと感じることができない、全て他者との関係から生まれるものだね、と仰っていました。
だからこそ、私たちは生きていくために幸せになるために共同の場、コミュニティが大切なのですね。
最後に私が今回感じたことになりますが、
今の若い社会人、社会に出る前の学生は
・働くのが怖い
・働くから喜びが感じない
そう思っている人が多いのかもしれません。
一方、映画にもあったようなワーカーズの方々は、
しっかり働く喜びや幸福感を感じているように見えました。
この差がコミュニティの存在なのではないでしょうか。
今、共(コミュニティ)の存在がなくなってきていることが、幸福感が下がっている要因なのかもしれないのです。
国や自治体などの公の場、と自分ごとの間には共がある。
その「共」というのは自分が属している会社だったり、地域コミュニティだったり、学校だったり課外活動の団体またはボランティア団体だったりするかもしれませんが、公とはまた別の自分ひとりではない場所、皆で同じ想い、願いを叶えたいと思っている場所、この場所の存在が一人ひとりの個人の力を強くし、幸福感を感じられる場所なのです。
今回のワーカーズコープをテーマにした<春のてらこや>は、昔より人と人のコミュニティ内の繋がりが希薄になっている今に警報を鳴らしてくれたように私は感じました。
私たちにとっての「共生」とは、同じ願いや想いを持つ人々が様々な形で関わり合いながら取り組みを行い、その中でぶつかったり協力したり、話し合いながらその関係性の中で自分が生まれていくこと、またその中で他者を愛し、自分を愛せるようになっていくことなのかもしれませんね。
この回の途中で地震がありました。
地震は怖いですが、その時に、あの人のところは地震大丈夫だろうか。そう思いを馳せる人がいることは幸せなんだよ、と気づかせてくれたのではないでしょうか。
この「ともに働く・ともに生きる」がテーマに行われた回で地震が起きたことも、何か意味があるのではないかと感じます。